が、苦心して描いた縮図や絵の参考品も失ってしまった時には、さすがの私も呆然としてしまった。
母は家財や着物の焼けたのは少しも惜しがらず、私の絵に関した品々の焼失をいたく惜しんでくれた。
「着物や家の道具は働いてお金を出せば戻るが、絵の品々は二度と手にはいらぬし、同じものを二度とかけぬから惜しいな」
私は母のその言葉をきいたとき、絵や参考品を失ったことを少しも惜しいと思わなかった。
母のこの言葉を得たことがどれほど力づよく感じ、どれ程うれしかったことか知れなかったのである。
母はしかし、火事の打撃にまけず、高倉の蛸薬師に移って、やはり葉茶屋をつづけながら私たちの面倒をみ、その年の秋に姉を立派に他家へ嫁づけたのである。
母と私の二人きりの生活になると、母はなお一そうの働きぶりをみせて、
「お前は家のことをせいでもよい。一生懸命に絵をかきなされや」
と言ってくれ、私が懸命になって絵をかいているのをみて、心ひそかにたのしんでいられた容子である。
私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに絵を生命とも杖ともして、それと闘えたのであった。
私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれ
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