たのである。
 
 それで私は母のそばにさえ居れば、ほかに何が無くとも幸福であった。
 旅行も出来なかった。泊りがけの旅行など母を残して、とても出来なかったのである。
 昭和十六年の中支行きは、そのような訳で私にとっては初旅といっていいものである。

 私が十歳位のころである。
 母は三条縄手を下ったところにある親類の家へ行って留守の折、家で姉と二人で母の帰りを待っていたが、なかなかに帰られなかったので、私は心配の余り、傘を持って奈良物町から四条大橋を渡って、母を迎えに行ったのであるが、そのときは雪が降って寒い晩であった。
 子供の私は泣きたい思いで、ようやくに親類の家の門まで辿りつくと、ちょうど母がそこを出られるところであった。
 私が、
「お母さん」
と、泣き声で呼ぶと、母は、
「おう、迎えに来てくれたのか、それはそれは寒いのになあ」
と言って、私のかじかんだ冷たい両手に息をかけ揉んでくれたが、私はそのとき思わず涙を流してしまった。
 母の目にも涙が浮んでいた。なんでもない光景であるが、私には一生忘れられないものである。
 
 私の制作のうち「母性」を扱ったものがかなりあるが、どれ
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