母への追慕
上村松園
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父の顔を知らない私には、母は「母と父をかねた両親」であった。
私の母は二十六の若さで寡婦となった。
人一倍気性が強かった。強くなければ、私と私の姉の二児を抱いて独立してゆけなかったからである。
母の男勝りの気性は、多分に私のうちにも移っていた。
私もまた、世の荒浪と闘って独立してゆけたのは、母の男勝りの気性を身内に流れこましていたからなのであろう。
母が若後家になった当時、親戚の者が母や私達姉妹の行末を案じて、
「子供二人つかまえて女手ひとつで商売もうまく行くまい。姉のほうは奉公にでも出して世帯を小さくしたらどうか」
「もう一ぺん養子をもろうたら――」
いろいろと親切に忠告をするのだが、勝気な母は、
「私が働けば、親娘三人どうにかやってゆけます」
そう言って決然として身を粉にして、私たちのために働いてくれたのである。
そう言って意地をはり、母はどのようなときにでも親類の援助は乞わなかった。
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