ようにして駈けずり廻って作ってすすめてこそはじめてご馳走になるのですよ」
両方ともそのお心には友の私を思って下さる美しいものが溢れているのである。そこで私は仲にはいって時の氏神をつとめたのである。
「今のお二人のお言葉こそ何よりのご馳走様でございます。もう戴いたも同様ですからそれではお薄を一服いただきたい。それを戴いて帰らしてもらいます」
私はご主人の有り合わせのご馳走と、奥方の馬に乗ってかけ廻って作られた――心のご馳走を一服のお薄にこめて有難くいただいてその家を辞した。
芭蕉翁が金沢の城下を訪れたある年のこと、門人衆や金沢の俳人衆の歓迎の句会に山海の珍味を出されたのをみて、我流にはこのような馳走の法はない。私を悦ばせてくれるのなら、ねがわくば一椀の粥に一片の香の物を賜われよ、と門人衆をいましめた話を憶い出しながら私は久しぶりに微笑ましい気持ちを抱いて我が家へ帰ったのである。
私の七つか八つの頃のことである。
母と一緒に建仁寺へ行ったとき、両足院の易者に私の四柱を見てもらったことがある。
四柱というのは、人の生まれた年・月・日・時刻の四つから判断して、その人の運勢を見る
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