風の音を聞きながらせまい茶室に座しているのも、禅を行なう人がうす暗い僧堂で無念無想の境に静座しているのも、画家が画室で端座しているのも、その到達する境地はひとつである。
墨をすり紙をひろげて視線を一点に集めて姿勢を正せば、無念無想、そこにはなんらの雑念も入り込む余地はない。
私にとっては画室は花のうてなであり、この上もない花の極楽浄土である。
制作につかれると私は一服の薄茶をたててそれをいただく。
清々しいものが体の中を吹き渡る……つかれはすぐに霧散する。
「どれ、この爽涼の気持ちで線を引こう」
私は筆へ丹念に墨をふくます。線に血が通うのはそういう時である。
色や線にふとしたことから大へんな失敗を起こすことがある。そういう時は御飯をいただくことすら忘れて一日も二日も考え込むことがある。
失敗をごまかそうとするのではない。この失敗を如何にして成功の道へ転換させようかと工夫するのである。
研究する。ああでもない、こうでもないと空に線を描き色を描いてそれを生かそうとする。
ふとこれが新しい色になり、新しい線、そして新しい構図にまで発展してくれることがしばしばある。
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