「まるで仙人の生活だな。仙人は霞を食い霞を衣として生きているから、棲霞軒としたらどうか」
そういう訳で栖鳳先生が命名された屋号である。これは支那風の人物とか、大作の支那風画を描き年号を入れたり改まった時に使っている。
爾来私は五十年この棲霞軒で芸術三昧に耽っている次第であるが、松園の名づけ親も棲霞軒の名づけ親もともに今はこの世にはいられない。
私はとき折りこの画室で松の園生の栄える夢をみたり霞の衣につつまれて深山幽谷に遊んでいる自分を夢みたりする。
私は毎朝冷水摩擦をかかさず行なっているが、これはラジオ体操以上に体に効くようである。もう四十年もつづいている。私はこの世を去るまでこの冷水摩擦はつづけるつもりでいる。おかげで風邪の神はご機嫌を悪くして、この棲霞軒へは足を向けようとしない。
朝鮮人参のエキスも少量ずつ、摩擦とともに数十年続けている。
健康を築きあげるにも、このようにして数十年かかるのである。
まして芸術の世界は不休々々死ぬまで精進しつづけてもまだ、とどかぬ遙かなものである。
画室に在るということは一日中で一番たのしい心から嬉しい時間である。
お茶人が松
前へ
次へ
全16ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング