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の四人の方のうち、私は栖鳳先生塾へ他の十数名の人たちと一緒に通った。

        竹内栖鳳先生

 松年先生、楳嶺先生を失った私は、昨年の秋最後の恩師竹内栖鳳先生を失った。
 楳嶺・松年の両大家を失った時以上の打撃を日本画壇がうけたことは言うを俟たない。

 栖鳳先生ほどの大いなる存在は古今を通じてはなはだその例が少ないであろうと思う。
 京都画壇の大半は栖鳳門下からなりたっていると言っても過言ではない。
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橋本関雪
土田麦僊
西山翠嶂
西村五雲
石崎光瑤
徳岡神泉
小野竹喬
金島桂華
加藤英舟
池田遙邨
八田高容
森 月城
大村広陽
神原苔山
東原方僊
三木翠山
山本紅雲
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「栖鳳先生の偉大さは?」
 と訊かれたら、以上の門下の名前を挙げればよい。
 あとは言うまでもない。古今を通じての偉大なる画人だと私は思っている。

 先生は常に写生をやれ写生をやれ――と言われた。
 画家は一日に一枚は必ず写生の筆をとらなくてはいけないと言われ、先生ご自身は、どのような日でも写生はおやりになっていられたようである。
 晩年はほと
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