亭で開かれたが、各自が自分の得意の絵を先生にお見せすると、先生は次々と弟子の絵を見て廻りながら、
「その線の力がたらぬ」
「ここは絵具をぬれ」
そう言って荒っぽい教えかたをされたものである。
百年先生は私の師匠ではないが、両社合併の席上でよくお会いし、いろいろと教わったものである。そのころ田能村直入だとか明治年間には南画――文人画が隆盛だったので、百年先生もその影響をうけて南画風のところが多少あったように記憶している。
松年先生は百年先生の実子であるが、その画風は百年先生と全然ちがっていた。
画学校時代の松年先生は、ほかの先生方と違って豪放磊落なやりかたで、学校でも他の先生方といくぶん意見が合わなかったのらしい。
しかし生徒たちにはとても受けがよかった。
豪快ななかにしみじみとした人情味があり、弟子を世の中へ送り出そう送り出そうとされたところなど大器のところがあった。
当時一般の絵画界の師弟関係というのは親子のようなもので、実に親しかった。
先生はよく鼻をくんくん鳴らされる癖があったし、足駄をコロコロ鳴らしてあるかれる風があった。
それで弟子たちもいつの間にか、
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