野松雲とか云ふ達者な人達が先頭に立つて、美術の将来だとか杖は失ふべからずなどと云ふ演題で口角泡を飛ばしてゐた。
 自画像と云つては恐らく此十六歳の時の丈《だ》けより無いだらうが、鏡を見ては描き見ては描きした事を思ひ出す。洗ひ髪のと笑つたのと此三枚が一ヶ処に描かれてゐる。
 其頃の着物は皆|素味《ぢみ》だつた。十三、四の頃の着物が残つてゐて、此年になつても私は時折着るが、夫れでちつとも可笑《をか》しいと思へない。夫れ程昔は素味なものが流行《はや》つた。髪は蝶々だが前髪を小さくとつて、襟には黒繻子が掛つてる。恁ふした風は其頃の町の娘さん達一般の風俗だつた。着物が素味だつた割に、帯は赤の玉乗り友禅や麻の鹿の子などはんなり[#「はんなり」に傍点]してゐた。
 少しハイカラな娘さんは束髪を結つた。江戸ツ子に前を割つて後ろで円く三ツ組にし網をかぶせたりした。色毛糸で編んだシヤツを着たりしてゐる人もあつた。
 髷は蝶々が一番普通で、少し若い人達だと前髪を切つて下げてる人もあつた。も少し若い人達には福髷が流行り、七、八つから十一、二迄の娘さんはお稚子《ちご》髷に結つてゐた。

 松年先生の塾には女のお
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