。その頃の娘さんたちがよくはわせ[#「はわせ」に傍点]に結っていたのを覚えています。はわせ[#「はわせ」に傍点]というのは、今の鬘下地《かずらしたじ》の輪毛《わげ》を大きくしたもので、鬘下地に較べるとズッと上品なものです。
 その頃桃割を結っている娘さんもありました。桃割もいいものだけれど、はわせ[#「はわせ」に傍点]に較べるとどこか味がない気がします。

     揚巻

 日清戦争頃から明治三十年前後にかけて揚巻が流行りました。先年|鏑木清方《かぶらぎきよかた》さんが帝展に出された「築地明石町」の婦人が結ってたのがそれですが、今でもあいさ[#「あいさ」に傍点]にあれを結った人を見受けることがあります。皮肉な意気なものです。
 それをあの当時には、大きく華美《はで》に上げたり、小さくちんまりしたりしていました。その上げ方の大小で名も変わるかも知れませんが、あれによく似た髪形で英吉利巻《イギリスまき》と呼んだのもありました。

     華美な東京の女

 大阪に尾形華圃という閨秀画家がいて、私より三つほど年上でしたが、その人と連なって東京博覧会の時にはじめて東京見物に行ったのでした。
前へ 次へ
全9ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング