ります。それに薔薇の花簪など※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]したものでした。
着物の柄
着物には黒襟がかかっていました。柄は細かい地味なのが流行りまして、十三詣りの時に着た着物を、私は今でも着ていますが、結構|可笑《おか》しくなく着られます。着物の柄は、後になればなるほど荒く華美《はで》になって来ています――一体がそんな風でした。
黄八丈に黒縮緬
今から思えばいくらでも可笑しいほどの思い出があります。私の二十二、三の頃、明治三十年頃になりますと、その頃男の人が、黄八丈の着物に黒縮緬の羽織を着ることが流行りました。松年先生や景年さんなど、皆そうした風をしていられたものです。
はわせと桃割
私の家は四条通りの今の万養軒のあるところで葉茶屋をしていましたが、私の十九の時火事で焼けました。粉本や写生など皆焼いてしまいました。その向いの、今の今井八方堂さんのお店が、小町紅でした。お店に人が並んで、小皿にせっせと紅を刷いていると、いつも田舎から出て来た人が買いに集っていたものです。町の娘さんたちも買いに来ました
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