四十数年も前の、京都発行の「日の出新聞」をみつけ出し、おや珍しいもの、とひろい読みしていたところが、当時の、その私の勧業博出品画に関する記事があったので非常に昔なつかしい感を覚えました。

 その時のことですが、私の親戚で、ひとりなかなかよくゴテる叔父がおって、私が画学校に通うことを非常に嫌い、というより、母が私を許して絵の学校へやっていることが気に食わない。
「上村の娘、絵など覚えてどないするつもりかいな」
 と、私の家へ来るごとはもちろん、かげでもうるさく非難しておったが、母がべつに他人様や親類すじから世話になっているわけでもなし、と一向気にかけなかった。
 ところが、この叔父が新聞紙上で私の博覧会出品作に褒状がくだされたということを読み識ってからは、一変してしまい大へん有頂天に喜んで、わざわざ私の家へ祝いにやって来た始末。それからは私のまあ、今でいうファンですが、大へんひいき[#「ひいき」に傍点]にしてくれて、展覧会などへは絶えず観に行っては私の絵を褒めまわっていたようである。

 その翌々年の明治二十五年にも同じ題材、同じようなイキ[#「イキ」に傍点]で「四季美人図」を描いて展
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