絵を出さしてやるさかいきば[#「きば」に傍点]って描きなさい」
「この子、絵筋《たち》がええさかい、きば[#「きば」に傍点]って描かそか……」
といったぐあいで、現今のように審査という選定方法もなく、出品された以上は落第も及第もなかったので、結局それぞれの師の目にとまった絵が自選の形式で出品されていたわけである。
そのようにして鈴木松年先生の塾からもたしか十五、六枚出されたように記憶している。
しかし東京の博覧会では審査があり、審査員の審査によって賞とか褒状の等級がきめられた。一等上が銅牌で、私には思いがけなくも一等褒状が授与せられた。
一等褒状を貰ったときはさすがに嬉しかった。何分当時はまだ十六歳の小娘でしたから思いもかけなかったのであろう。
当時さる国の皇太子殿下がちょうど日本に来ておられ、博覧会場におなりになり、はしなくも私の拙ない絵をお眼に止められて大そう気に入られたとみえて、お買上げの栄を得た。
当時このようなことはことに京都では珍しいことであったと見えて、新聞紙上にいろいろ私の絵のことやら、私のことやらが載せられたもので、ついせんだってもふとしたところから
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