覧会に出品したが、これは前の勧業博出品の「四季美人図」が評判になったためであろうか、農商務省からの名指しで、始めからシカゴ博の御用品になされる由お達しがあり、六十円の金子が下げられた。そこで私は描き上げた絵を板表装にして送ったが、その時分の六十円だから、私にとっては驚くほどの多額でした。
何しろその時京都から出品したのは、私のほかにと言っては岩井蘭香さんがおられたくらいのもので、蘭香さんは当時もう六十歳くらいの御年齢でしたから、まるで破格の待遇であったわけだ。東京から跡見玉枝さんなどがこの博覧会に出品されたように覚えている。
この時の「四季美人図」も審査の結果二等になり、アメリカでは私の写真入りで大いに新聞が書きたてたそうである。
そのとき送って来た唐草模様の銀メダルが今でも手許に残っている。
表装してくれた京都の芝田堂の主人、芝田浅次郎さんが自分の絵が入選でもしたように悦んで、早速お祝いに来てくれたことも憶い出となっている。
東京の跡見玉枝、野口小蘋の両女史、京都の岩井蘭香という名声嘖々たる女流画家に伍して、十八歳の私が出品出来、しかもそれが入賞したのであるから、母は涙
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