下描きをした上から丹念に描いた一点一劃間違いのないような精細確実な処にあるのではなくて、軽妙洒脱な筆の味ばかりでもなく、時には筆者さえも予想しなかったような、勢いに乗じて出来た妙味があります。この筆勢の妙味は時には再び繰返そうとしても到底繰返すことの出来ないようなものも出来ます。そこに何とも言えない紙本の味があると言えます。
この、絹本よりは紙本、生絹よりは涸らした絹、どうさ[#「どうさ」に傍点]引よりは湯引、という関係がある種の柔かい味と生硬な味とを材料そのものからして持っているように思われます。
今日のようなスピード時代から見ますと、今の紙本に走り書きした妙味が喜ばれそうなものですのに、紙本の味などよりは絹の上にコテコテと丹念に描いた絵の方が喜ばれている傾きがあるのは不思議でもあります。が又、いくらスピード時代だからと言っても、絵ばかりは駆け出しの若い人にはどうしても紙本などこなす腕が出来ませぬ。じっくりと叩き込んだ腕でないと筆が軽く自由に動いてくれませぬ。
考えてみますと近頃の若い画家は皆あまり早く効果を挙げようと結果を急ぎ過ぎているように思います。絵を稽古するのは上手に
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