うな何とも言えない親しみのある感じになります。その気持が私には何とも言えずうれしいのです。
 どうさ[#「どうさ」に傍点]の代りに湯引きしますのもそうした気持からで、生絹やどうさ[#「どうさ」に傍点]引やと湯引とでは丁度新しい絹と涸らしたのとの違い程の感じがあるように思われます。絹と紙とでは又そうした感じの違いがあります。紙ですと大抵どんな紙でも絹よりは墨や絵具を吸い取る力は強いものですが、それだけに味わいはあるように思います。どうさ[#「どうさ」に傍点]を引立ての絹ですと、どんなにゆっくりと線を引いていても、ちっともちぢむような心配はありませぬが、紙ですとサッサッと筆を走らせないとすぐに思いも寄らぬにじみが出来てしまいます。紙本の味は、少しでも筆が渋滞すればすぐににじみ勝ちの吸湿性があるのですが、それをにじませないように手早く筆を走らせた軽妙な筆味にあるわけでしょう。ところが、余程確かな筆でないとそう手早く軽妙に動いてくれませぬ。じっくり落着いて絹にばかり描き馴れた若い人達が紙本を扱っても容子に[#「容子に」はママ]思うような絵の描けないのはもっともなことですが、しかし紙本の味は又、
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