五年か六年のころ、はじめて図画の時間というものが出来ましたが、そのときはとても嬉しかった。
図画の時間が出来てから学校へゆくのがたのしみになってしまいました。
そのとき教えていただいた先生が中島真義という方ですが、最近八十五歳で歿《な》くなられるまで、ちょいちょい私の家へ遊びに来られて、あの頃の話も出ました。
私は遊歩の時間でも皆と一緒に遊ばないで運動場の隅で石盤に絵ばかりかいていました。
友だちが寄って来て、私が常子というのでみんなが、
「つうさん、うちのにも描いてな」
と、言ってさし出すのです。私はいい気持ちになって、花やら鳥やら人物やらを、それに描いてやったものです。
その友だちはまた日曜になると家へ集まってくるので、私はいろいろ[#「いろいろ」は底本では「いろいい」]の髪の形を考えては、その女の子たちの髪を結ってあげたもので、研究しているうちに、どんな人はどのような髪を結うたらいいかが判り、それが将来絵を描く上に大へん役立ちました。
私は私流の髪もずいぶん考案しましたが、子供心に、むかしの型の髪を、なるほどよく考えた、ええ型やな――と思ったものでした。
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