の絵をくれたりしました。店にはずいぶんたくさんの本があり、私の好きな絵本もありました。
御一新前に、その老夫婦が勤皇の志士をかくまったそうですが、その志士がのちに出世して東京で偉い人になったので、
「お礼返しに息子さんを学校へ出してやろう」
と言われたので、老夫婦は息子をつれて東京へ行ってしまいましたが、その時たくさんの本を屑屋へ払い下げて行ったそうですが、あとでそのことをきいて、
「あれをたくさん買って置けばよかった」
と残念におもいました。
母が用事で外出をすると、留守の私は淋しいので、母の鏡台から臙脂《べに》をとり出して、半紙に、それら北斎の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵をうつしていましたが、母は帰って来られると必ず、二、三枚の絵を土産に下さいましたことも、今は遠い思い出となってしまいました。
小学校時代
仏光寺の開智校へ入学したのは、七つの年でした。
絵が好きなものですから、ほかの時間でも石盤に石筆で絵を描いたり、庵筆(鉛筆のことを当時はそうよびました)でノートに絵をかいたりして楽しんでいました。
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