島先生は私の絵に見どころを感じなさったのか、いつでも、しっかり描けよ、と激励して下さって、ある時、京都市中の小学校の展覧会に私の絵を出品させて下さるほどでした。
 私はそのとき煙草盆を写生して出したのですが、それが幸い入賞して御褒美に硯をいただきました。
 この硯はながらく私の側にあって、今でも私の絵の一助をつとめていますが、この硯をみるたびに中島先生のご恩をしみじみと感じるのであります。

 小学校のときに、もう一人前の女の着物や帯や髪のことが判っていたので、よく近所の人が、着物や帯のことをたずねに来られたことがありました。
 将来美人画に進もうという兆しがそのころからあったとみえて、女性の画ばかり描いていたのが、自然に覚えこんでしまったものでありましょう。

 そのような訳で、小学校をすますと画学校へ入りましたのも、べつだん画で身を立てようという訳ではなく、
「好きなものなら画の学校でも行っていたらよかろう」
 母がそう言ってやって下さったものなのです。小学校でも絵の時間は特別に念入りに勉強した私ですから、画学校へゆけば天下はれて画がかけるというので、私はどんなに嬉しかったことでし
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