……貴方の御手で麻酔をかけてね』
私は手真似で反対したが、彼女はどうしても肯《き》きません。
『きっとね。貴方に眠らせて頂くわ』
私は『可《い》けない』と云おうとしたけれど、それを云っている隙《ひま》も、勇気もありませんでした。そのうちに、もう人々がやって来て、彼女を隣室へ運んでゆきました。
私の苦難はこれから始まるのです。
院長や、医員や、看護婦たちが容易ならぬ気勢《けはい》であちこちと立ち廻っている間に、私はクロロフォムの壜と、マスクの用意をしました。
女が麻酔剤を数滴吸入しかけたとき、何だか厭がる風だったが、ふと私の顔を見るとにっこり笑っておとなしく、私のするがままに任せました。しかし、そのときは、まだ麻酔が不完全だったのです。というのは、私が感動のあまり度を失って、マスクをぴったりと口へ当てなかったために、その隙間から空気が入りすぎて、クロロフォムの吸入量が少なかったからです。
なお、私は突発し得るさまざまな危険を考えていました。たびたび見聞《みきき》した麻酔死の場合なども予想しました。その際、私の眼が常のごとく鋭敏でなく、手先が不確《ふたしか》であったのも、実に已
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