いい薬になりました。

四日。
「梨花《りか》一枝。」
 改造十一月号所載、佐藤春夫作「芥川賞」を読み、だらしない作品と存じました。それ故に、また、類《たぐい》なく立派であると思った。真の愛情は、めくらの姿である。狂乱であり、憤怒である。更に、(断)

 寝間の窓から、羅馬《ローマ》の燃上を凝視して、ネロは、黙した。一切の表情の放棄である。美妓《びぎ》の巧笑に接して、だまっていた。緑酒を捧持されて、ぼんやりしていた。かのアルプス山頂、旗焼くけむりの陰なる大敗将の沈黙を思うよ。
 一噛の歯には、一噛の歯を。一杯のミルクには、一杯のミルク。(誰のせいでもない。)

「なんじを訴うる者とともに途《みち》に在るうちに、早く和解せよ。恐《おそら》くは、訴うる者なんじを審判人《さばきびと》にわたし、審判人は下役《したやく》にわたし、遂《つい》になんじは獄《ひとや》に入れられん。
 誠に、なんじに告ぐ、一|厘《りん》も残りなく償わずば、其処《そこ》をいずること能《あた》わじ。」(マタイ五の二十五、六。)

 晩秋騒夜、われ完璧《かんぺき》の敗北を自覚した。

 一銭を笑い、一銭に殴られたにすぎぬ。
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