一夜、夫の枕もとに現われて、歌を詠《よ》んだ。闇の夜の、におい山路《やまみち》たどりゆき、かな哭《な》く声に消えまよいけり。におい山路は、冥土《めいど》に在る山の名前かも知れない。かなは、女児の名であろう。消えまよいけりは、いかにも若い女の幽霊らしく、あわれではないか。
いまひとつ、これも妖怪《ようかい》の作った歌であるが、事情は、つまびらかでない。意味も、はっきりしないのだが、やはり、この世のものでない凄惨《せいさん》さが、感じられるのである。それは、こんな歌である。わぎもこを、いとおし見れば青鷺《あおさぎ》や、言《こと》の葉なきをうらみざらまし。
そうして白状すれば、みんな私のフィクションである。フィクションの動機は、それは作者の愛情である。私は、そう信じている。サタニズムではない。
り[#「り」はゴシック体]、竜宮さまは海の底。
老憊《ろうはい》の肉体を抱き、見果てぬ夢を追い、荒涼の磯をさまようもの、白髪の浦島太郎は、やはりこの世にうようよ居る。かなぶんぶんを、バットの箱にいれて、その虫のあがく足音、かさかさというのを聞きながら目を細めて、これは私のオルゴオルだ、なん
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