く鬱然一家をなし、世の名利をよそにその志す道に悠々自適せし生涯とに他ならぬ。かれの手さぐりにて自記した日記は、それらの事情を、あますところ無く我らに教える。勾当、病歿せしは明治十五年、九月八日。年齢、七十一歳也。
以上は、私が人名辞典やら、「葛原勾当日記」の諸家の序やら跋やら、または編者の筆になるところの年譜、逸話集、写真説明の文など、諸処方々から少しずつ無断盗用して、あやうく、纏《まと》めた故葛原勾当の極めて大ざっぱな略伝である。その人と為《な》りに就いての、私一個人の偽らぬ感想は、わざと避けた。日記の文章に就いての批評も、ようせぬつもりだ。今は、読者にその日記のほんの一部分を読んでいただけたら、それでよいのである。私一個人の感想も、批評も、自らその中に溶け込ませているつもりである。そのわけは、とにかく日記を読んでもらった後で申し上げることにしたい。ここには、勾当二十六歳、青春一年間の日記だけを、展開する。全日記の、謂《い》わば四十分の一に過ぎない。けれども、読者に不足を感じさせるような事は無い。そのわけも、日記の「あとかき」として申し上げる。いまは、勾当二十六歳正月一日の、手さぐ
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