その時計は、こんな、まっくら闇の中でも見えるの?」
「見えるんです。蛍光板というんです。ほら、ね、蛍《ほたる》の光のようでしょう?」
「ほんとね。高いものでしょうね。」
私は眼をつぶったまま、寝返りを打ち、考える。なあんだ、やっぱり、そうだったじゃないか。作家の直観あなどるべからず。いや、好色漢の直観あなどるべからず、かな? 小川君は、僕の事を乞食だなんて言って、ご自身大いに高潔みたいに気取っていやがったけれども、見よ、この家の女中は、お客と一緒に寝ているじゃないか。明朝かれにさっそく、この事を告げて、彼をして狼狽《ろうばい》させてやるのも一興である。
なおもひそひそ隣室から、二人の会話が漏れて来る。
その会話に依《よ》って私は、男は帰還の航空兵である事、そうしてたったいま帰還して、昨夜この港町に着いて、彼の故郷はこの港町から三里ほど歩いて行かなければならぬ寒村であるから、ここで一休みして、夜が明けたらすぐに故郷の生家に向って出発するというプログラムになっているらしい事、二人は昨夜はじめて相逢ったばかりで、別段旧知の間柄でも無いらしく、互いに多少遠慮し合っている事などを知った。
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