た》だらしが無く、すっかりおびえてしまって、作品はひたすらに、地味にまずしく、躍る自由の才能を片端から抑制して、なむ誠実なくては叶《かな》うまいと伏眼になって小さく片隅に坐り、先輩の顔色ばかりを伺って、おとなしい素直な、いい子という事になって、せっせとお手本の四君子やら、ほてい様やら、朝日に鶴、田子の浦の富士などを勉強いたし、まだまだ私は駄目ですと殊勝らしく言って溜息をついてみせて、もっぱら大過なからん事を期しているというような状態になったのです。いまでは私は、信じています。若い才能は、思い切り縦横に、天馬の如《ごと》く走り廻るべきだと思っています。試みたいと思う技法は、とことんまでも駆使すべきです。書いて書きすぎるという事は無い。芸術とは、もとから派手なものなのです。けれども私は、もうおそいようです。骨が固くなってしまいました。ほてい様やら、朝日に鶴を書き過ぎました。私はあなたのお手紙を読み、いまさら何を言っていやがると思ったのは、そのところなのです。もう二十年はやく、あなたがそれを、はっきり言ってくれたならば! けれども、これは愚痴のようです。お手本を破れ、二十世紀の新しい芸術は君
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