ともいいから、誠実な人間でありたい。これはたいへん立派な言葉のように聞えますが、実は狡猾な醜悪な打算に満ち満ちている遁辞《とんじ》です。君はいったい、いまさら自分が誠実な人間になれると思っているのですか。誠実な人間とは、どんな人間だか知って「ますか。おのれを愛するが如く他の者を愛する事の出来る人だけが誠実なのです。君には、それが出来ますか。いい加減の事は言わないでもらいたい。君は、いつも自分の事ばかりを考えています。自分と、それから家族の者、せいぜい周囲の、自分に利益を齎《もた》らすような具合いのよい二、三の人を愛しているだけじゃないか。もっと言おうか。君は泣きべそを掻《か》くぜ。「汝ら、見られんために己《おの》が義を人の前にて行わぬように心せよ。」どうですか。よく考えてもらいたい。出来ますか。せめて[#「せめて」に傍点]誠実な人間でだけ[#「だけ」に傍点]ありたい等と、それが最低のつつましい、あきらめ切った願いのように安易に言っている恐ろしい女流作家なんかもあったようですが、何が「せめて」だ。それこそ大天才でなければ到達出来ないほどの至難の事業じゃないか。自分はどうしても誠実な人間に
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