3字上げ]木戸一郎
井原退蔵様
拝復。
君の手紙は下劣でした。お答えするのも、ばからしい位です。けれども、もう一度だけ御返事を差し上げます。君の作品を、忘れる事が出来ないからです。
自分は、君の手紙を嘘だらけだと言いました。それに対して君は、嘘なんか書かない、どこがどんなに嘘なのかと、たいへん意気込んで抗議していたようですが、それでは教えます。自分は、君の無意識な独《ひと》り合点《がてん》の強さに呆《あき》れました。作品の中の君は単純な感傷家で、しかもその感傷が、たいへん素朴なので、自分は、数千年前のダビデの唄《うた》をいま直接に聞いているような驚きをさえ感じました。自分は君の作品を読んで久し振りに張り合いを感じたのです。自分には、すぐれた作品に接するという事以外には、一つも楽しみが無いのです。自分にとって、仕事が全部です。仕事の成果だけが、全部です。作家の、人間としての魅力など、自分は少しもあてにして居りません。ろくな仕事もしていない癖に、その生活に於いて孤高を装い、卑屈に拗《す》ねて安易に絶望と虚無を口にして、ひたすら魅力ある風格を衒《てら》い、ひとを笑わせ自分もでれ
前へ
次へ
全70ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング