」
外へ出る。黄昏《たそが》れて霧が立ちこめ、会社のひけどきの混雑。掻きわけて駅にすすむ。東京までの切符を買う。プラットフオムで、上りの電車を待っているあいだの永かったこと。わっ! と叫び出したい発作。悪寒《おかん》。尿意。自分で自分の身の上が、信じられなかった。他人の表情がみな、のどかに、平和に見えて、薄暗いプラットフオムに、ひとり離れて立ちつくし、ただ荒い呼吸をし続けている。
ほんの四、五分待っていただけなのだが、すくなくとも三十分は待った心地である。電車が来た。混《こ》んでいる。乗る。電車の中は、人の体温で生あたたかく、そうして、ひどく速力が鈍い。電車の中で、走りたい気持。
吉祥寺、西|荻窪《おぎくぼ》、……おそい、実にのろい。電車の窓のひび割れたガラスの、そのひびの波状の線のとおりに指先をたどらせ、撫《な》でさすって思わず、悲しい重い溜息《ためいき》をもらした。
高円寺。降りようか。一瞬ぐらぐらめまいした。森ちゃんに一目あいたくて、全身が熱くなった。姉を殺した記憶もふっ飛ぶ。いまはただ、部屋を借りられなかった[#「借りられなかった」に傍点]失敗の残念だけが、鶴の胸をしめ
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