」
「ええ、そう。チャンスです。」
「いまをはずしたら、もう、永遠に、……」
「いいえ、でも、わたくしたちは絶望しませんわ。」
またもお世辞の失敗か。むずかしいものだ。
「お茶でも飲みましょう。」
たかってやれ。
「ええ、でも、わたくし、今夜は失礼しますわ。」
ちゃっかりしていやがる。でも、こんな女房を持ったら、亭主は楽だろう。やりくりが上手《じょうず》にちがい無い。まだ、みずみずしさも、残っている。
四十女を見れば、四十女。三十女を見れば、三十女。十六七を見れば、十六七。ベートーヴェン。モオツアルト。山名先生。マルクス。デカルト。宮さま。田辺女史。しかし、もう、僕の周囲には誰もいない。風だけ。
何か食おうかなあ。胃の具合いが、どうも、……音楽会は胃に悪いものかも知れない。げっぷを怺《こら》えたのが、いけなかった。
「おい、柳川君!」
ああ、いい名じゃない。川柳のさかさまだ。柳川鍋《やながわなべ》。いけない、あすからペンネームを変えよう。ところで、こいつは誰だったっけ。物凄《ものすご》いぶおとこだなあ。思い出した。うちの社へ、原稿を持ち込んで来た文学青年だ。つまらん奴と逢っ
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