のほうに立った。ひがんでいたのである。T君の家は、金持だ。私は、歯も欠けて、服装もだらしない。袴《はかま》もはいていなければ、帽子さえかぶっていない。貧乏文士だ。息子の許嫁《いいなずけ》の薄穢い身内が来た、とT君の両親たちは思っているにちがいない。妹が私のほうに話しに来ても、「おまえは、きょうは大事な役なのだから、お父さんの傍に附いていなさい」と言って追いやった。T君の部隊は、なかなか来なかった。十時、十一時、十二時になっても来なかった。女学校の修学旅行の団体が、遊覧バスに乗って、幾組も目の前を通る。バスの扉に、その女学校の名前を書いた紙片が貼《は》りつけられて在る。故郷の女学校の名もあった。長兄の長女も、その女学校にはいっている筈である。乗っているのかも知れない。この東京名所の増上寺山門の前に、ばかな叔父が、のっそり立っているさまを、叔父とも知らず無心に眺めて通ったのかも知れない等と思った。二十台ほど、絶えては続き山門の前を通り、バスの女車掌がその度毎に、ちょうど私を指さして何か説明をはじめるのである。はじめは平気を装っていたが、おしまいには、私もポオズをつけてみたりなどした。バルザ
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