東京八景
(苦難の或人に贈る)
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)索寞《さくばく》たる

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)本所区東|駒形《こまがた》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)自分の幼時[#「幼時」は底本では「幼児」]からの
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 伊豆の南、温泉が湧き出ているというだけで、他には何一つとるところの無い、つまらぬ山村である。戸数三十という感じである。こんなところは、宿泊料も安いであろうという、理由だけで、私はその索寞《さくばく》たる山村を選んだ。昭和十五年、七月三日の事である。その頃は、私にも、少しお金の余裕があったのである。けれども、それから先の事は、やはり真暗であった。小説が少しも書けなくなる事だってあるかも知れない。二箇月間、小説が全く書けなかったら、私は、もとの無一文になる筈である。思えば、心細い余裕であったが、私にとっては、それだけの余裕でも、この十年間、はじめての事であったのである。私が東京で生活をはじめたのは、昭和五年の春である。そのころ既に私は、Hという女と共同の家を持っていた
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