あがって、めんどうくさいけれど親切にしてあげるというような態度も、はたから見ると在ったかも知れません。芹川さんもまた、ずいぶん素直に、私の言うこと全部を支持して下さるので、勢い主人と家来みたいな形になってしまうのでした。芹川さんのお家は、私の家の、すぐ向いで、ご存じでしょうかしら、華月堂というお菓子屋がございましたでしょう、ええ、いまでも昔のまま繁昌して居ります、いざよい最中《もなか》といって、栗のはいった餡《あん》の最中を、昔から自慢にいたして売って居ります。いまはもう、代《だい》がかわって芹川さんのお兄さんが、当主となって朝から晩まで一生懸命に働いて居ります。おかみさんも、仲々の働き者らしく、いつも帳場に坐って電話の注文を伺《うかが》っては、てきぱき小僧さんたちに用事を言いつけて居ります。私とお友達だった芹川さんは、女学校を出て三年目に、もういい人を見つけてお嫁に行ってしまいました。いまは何でも朝鮮の京城とやらに居られるようでございます。もう、二十年ちかくも逢いません。旦那さまは、三田の義塾を出た綺麗《きれい》なおかたでして、いま朝鮮の京城で、なんとかいう可成り大きな新聞社を経営し
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