した。好きでないおじいさんだったのですが、でも、私はお葬式の日には、ずいぶん泣きました。お葬式があんまり華麗すぎたので、それで、興奮して泣いちゃったのかも知れません。お葬式の翌《あく》る日、学校へ出たら、先生がたも、みんな私にお悔《くや》みを言って下さって、私はその都度、泣きました。お友達からも、意外のほどに同情され、私はおどおどしてしまいました。市ヶ谷の女学校に徒歩で通《かよ》っていたのですが、あのころは、私は小さい女王のようで、ぶんに過ぎるほどに仕合せでございました。父が四十で浦和の学務部長をしていたときに私が生れて、あとにも先にも、子供といえば私ひとりだったので、父にも母にも、また周囲の者たちにも、ずいぶん大事にされました。自分では、気の弱い淋しがりの不憫《ふびん》の子のつもりでいたのですが、いま考えてみると、やはり、わがままの高慢な子であったようでございます。市ヶ谷の女学校へはいってすぐ、芹川《せりかわ》さんというお友達が出来ましたけれど、その当時はそれでも、芹川さんに優しく叮嚀《ていねい》につき合っているつもりでいたのですが、これも、いま考えてみると、やっぱり私は、ひどく思い
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