せていただきます。」
「そいつあ有難い。この勢ひぢや、町会議員は今夜あたり、三厩の宿で蟹田町政に就いて長講一席やらかすんぢやないかと思つて、実は、憂鬱だつたんです。あなたが附合つてくれると、心強い。奥さん、御主人を今夜、お借りします。」
「はあ。」とだけ言つて、微笑する。少しは慣れた様子であつた。いや、あきらめたのかも知れない。
私たちはお酒をそれぞれの水筒につめてもらつて、大陽気で出発した。さうして途中も、N君は、テイデン和尚、テイデン和尚、と言ひ、頗るうるさかつたのである。お寺の屋根が見えて来た頃、私たちは、魚売の小母さんに出逢つた。曳いてゐるリヤカーには、さまざまのさかなが一ぱい積まれてゐる。私は二尺くらゐの鯛を見つけて、
「その鯛は、いくらです。」まるつきり見当が、つかなかつた。
「一円七十銭です。」安いものだと思つた。
私は、つい、買つてしまつた。けれども、買つてしまつてから、仕末に窮した。これからお寺へ行くのである。二尺の鯛をさげてお寺へ行くのは奇怪の図である。私は途方にくれた。
「つまらんものを買つたねえ。」とN君は、口をゆがめて私を軽蔑した。「そんなものを買つてどう
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