やと思はれるくらゐであつた。
Mさんが来た。はにかんで笑ひながら、
「さ、どうぞ。」と言ふ。
「いや、さうしても居られないんです。」とN君は腰をあげて、「船が出るやうだつたら、すぐに船で竜飛まで行きたいと思つてゐるのです。」
「さう。」Mさんは軽く首肯き、「ぢやあ、出るかどうか、ちよつと聞いて来ます。」
Mさんがわざわざ波止場まで聞きに行つてくれたのだが、船はやはり欠航といふ事であつた。
「仕方が無い。」たのもしい私の案内者は別に落胆した様子も見せず、「それぢや、ここでちよつと休ませてもらつて弁当を食べるか。」
「うん、ここで腰かけたままでいい。」私はいやらしく遠慮した。
「あがりませんか。」Mさんは気弱さうに言ふ。
「あがらしてもらはうぢやないか。」N君は平気でゲートルを解きはじめた。「ゆつくり、次の旅程を考へませう。」
私たちはMさんの書斎に通された。小さい囲炉裏があつて、炭火がパチパチ言つておこつてゐた。書棚には本がぎつしりつまつてゐて、ヴアレリイ全集や鏡花全集も揃へられてあつた。「礼儀文華のいまだ開けざるはもつともの事なり。」と自信ありげに断案を下した南谿氏も、ここに到つ
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