い、あの、いい袴を出してくれ。」流石《さすが》に、仙台平を、とは言えなかった。
「仙台平を? およしなさい。紺絣《こんがすり》の着物に仙台平は、へんです。」家内は、反対した。私には、よそゆきの単衣《ひとえ》としては、紺絣のもの一枚しかないのである。夏羽織が一枚あった筈であるが、いつの間にやら無くなった。
「へんな事は無い。出しなさい。」仙台平なんかじゃないんだ、と真相をぶちまけようかと思ったが怺《こら》えた。
「滑稽じゃないかしら。」
「かまわない。はいて行きたいのだ。」
「だめですよ。」家内は、頑固であった。その仙台平なるものの思い出を大事にして、無闇《むやみ》に外に出して粗末にされたくないエゴイズムも在るようだ。「セルのが、あります。」
「あれは、いけない。あれをはいて歩くと、僕は活動の弁士みたいに見える。もう、よごれて、用いられない。」
「けさ、アイロンを掛けて置きましたの。紺絣には、あのほうが似合うでしょう。」
 家内には、私のその時の思いつめた意気込みの程が、わからない。よく説明してやろうかと思ったが、面倒臭かった。
「仙台平、」と、とうとう私まで嘘をついて、「仙台平のほうが
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