、百右衛門を心置きなく存分に打ち据《す》え、この身もうれしく切腹の覚悟。」と申せば武蔵は、いじらしさに、もらい泣きして、
「武蔵が無用の出しゃばりして、そなたの手柄《てがら》を殿に御披露したのが、わるかった。わけもない人魚の論などはじめて、あたら男を死なせねばならぬ。ゆるせ金内、来世は武士に生れぬ事じゃのう。」顔をそむけて立ち上り、「留守は心配ないぞ。」と強く言って広間から退出した。
 金内の私宅には、八重ということし十六になる色白く目鼻立ち鮮やかな大柄な娘と、鞠《まり》という小柄で怜悧《れいり》な二十一歳の召使いと二人住んでいるだけで、金内の妻は、その六年前にすでに病歿していた。金内はその日努めて晴れやかな顔をして私宅へ帰り、父はまたすぐ旅に出かける、こんどの旅は少し永いかも知れぬから留守に気を附けよ、とだけ言って、貯《たくわ》えの金子《きんす》ほとんど全部をふところにねじ込み、逃げるようにして家を出た。
「お父さまは、へんね。」と八重は、父を送り出してから、鞠に言った。
「さようでございます。」鞠は落ちついて同意した、金内は、ひとをあざむく事は、下手である。いくら陽気に笑ってみせて
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