魚の一件を、少しも誇張するところなく、ありのままに淡々と語れば、武蔵かねて金内の実直の性格を悉知《しっち》しているゆえ、その人魚の不思議をも疑わず素直に信じ、膝《ひざ》を打って、それは近頃めずらしい話、殊《こと》にもそなたの沈着勇武、さっそくこの義を殿《との》の御前に於《お》いて御披露《ごひろう》申し上げよう、と言うと、金内は顔を赤らめ、いやいや、それほどの事でも、と言いかけるのにかぶせて、そうではない、古来ためし無き大手柄、家中《かちゅう》の若い者どものはげみにもなります、と強く言い切って、まごつく金内をせき立て、共に殿の御前にまかり出ると、折よく御前には家中の重役の面々も居合せ、野田武蔵は大いに勢い附いて、おのおの方もお聞きなされ、世にもめずらしき手柄話、と金内の旅の奇談を逐一語れば、殿をはじめ一座の者、膝をすすめて耳を傾ける中にひとり、青崎百右衛門《あおさきひゃくえもん》とて、父親の百之丞《ひゃくのじょう》が松前の家老として忠勤をはげんだお蔭《かげ》で、親の歿後《ぼつご》も、その禄高《ろくだか》をそっくりいただき何の働きも無いくせに重役のひとりに加えられ、育ちのよいのを鼻にかけて
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