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人魚の海
後深草《ごふかくさ》天皇|宝治《ほうじ》元年三月二十日、津軽の大浦というところに人魚はじめて流れ寄り、其《そ》の形は、かしらに細き海草の如《ごと》き緑の髪ゆたかに、面《おもて》は美女の愁《うれ》えを含み、くれないの小さき鶏冠《とさか》その眉間《みけん》にあり、上半身は水晶《すいしょう》の如く透明にして幽《かす》かに青く、胸に南天の赤き実を二つ並べ附《つ》けたるが如き乳あり、下半身は、魚の形さながらにして金色の花びらとも見まがうこまかき鱗《うろこ》すきまなく並び、尾鰭《おひれ》は黄色くすきとおりて大いなる銀杏《いちょう》の葉の如く、その声は雲雀笛《ひばりぶえ》の歌に似て澄みて爽《さわ》やかなり、と世の珍らしきためしに語り伝えられているが、とかく、北の果の海には、このような不思議の魚も少からず棲息《せいそく》しているようである。むかし、松前《まつまえ》の国の浦奉行《うらぶぎょう》、中堂金内《ちゅうどうこんない》とて勇あり胆あり、しかも生れつき実直の中年の武士、或《あ》るとしの冬、お役目にて松前の浦々を見廻《みまわ》り、夕暮ちかく鮭川《さけがわ》という
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