と、かか、顔を見合せて、おかしくもなく、台所がかたりと鳴れば、鼠《ねずみ》か、小豆《あずき》に糞《ふん》されてはたまらぬ、と二人血相かえて立ち上り、秋の紅葉も春の菫《すみれ》も、何の面白《おもしろ》い事もなく、猿の吉兵衛は主人の恩に報いるはこの時と、近くの山に出かけては柏《かしわ》の枯枝や松の落葉を掻き集め、家に持ち帰って竈《かまど》の下にしゃがみ、松葉の煙に顔をそむけながら渋団扇《しぶうちわ》を矢鱈にばたばた鳴らし、やがてぬるいお茶を一服、夫婦にすすめて可笑《おか》しき中にも、しおらしく、ものこそ言わね貧乏世帯に気を遣い、夕食も遠慮して少量たべると満足の態《てい》でころりと寝て、次郎右衛門の食事がすむと駈け寄って次郎右衛門の肩をもむやら足腰をさするやら、それがすむと台所へ行きお蘭の後片附のお手伝いをして皿《さら》をこわしたりして実に面目なさそうな顔つきをして、夫婦は、せめてこの吉兵衛を唯一《ゆいいつ》のなぐさみにして身の上の憂《う》きを忘れ、そのとしも過ぎて翌年の秋、一子菊之助をもうけ、久し振りに草の庵から夫婦の楽しそうな笑声が漏れ聞え、夫婦は急に生きる事にも張合いが出て来て、それめ
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