》をかけた。
「それは、むずかしいでしょうね。」勝太郎には、丹三郎の底意がわからぬ。無邪気に答える。「馬の上なら、眠りながら歩くという事も出来ますけれど。」
「うん、あれは。」あれは、あぶない。蛸には、馬上で眠るなんて芸当は出来ない。眠ったら最後、落馬だ。「あれは、また、野暮なものだ。眼が覚めて、ここはどこか、と聞いても、馬は答えてくれないからね。」駕籠だと、駕籠かきが、へえ、もうそろそろ桑名です、と答えてくれる。ああ、駕籠に乗りたい。
「うまい事をおっしゃる。」勝太郎には、蛸の謎が通じない。ただ無心に笑っている。
丹三郎はいまいましげに勝太郎を横目で睨《にら》んで、
「お前もまた、野暮な男だ。思いやりというものがない。」とあらたまった口調で言った。
「はあ?」と勝太郎はきょとんとしている。
「見ればわかるじゃないか。おれはもう、歩けなくなっているのだ。おれはこんなに太っているから股《また》ずれが出来て、人に知られぬ苦労をして歩いているのだ。見れば、わかりそうなものだ。」と言って急に顔を苦しげにしかめ片足をひきずって歩きはじめた。
「肩を貸してやれ。」とお駕籠の後に扈従《こじゅう》していた神崎式部は、その時、苦笑して勝太郎に言いつけた。
「はい。」と言って勝太郎は、丹三郎の傍に走り寄り、蛸の右手を執《と》ったら、蛸は怒って、
「ごめんこうむる。こう見えても森岡丹後の子だ。お前のような年少の者の肩にしなだれかかって峠を越えたという風聞がもし国元に達したならば、父や兄たちの面目が丸つぶれじゃないか。お前たち親子はぐるになって、森岡の一家を嘲弄《ちょうろう》する気なのであろう。」とやけくそみたいに、わめき立てた。神崎親子は、顔色を変えた。
「式部、」と駕籠の中から若殿が呼んで、「蛸にも駕籠をやれ。」と察しのいいところを見せた。
「は、ただいま。」と式部は平伏する。蛸は得意だ。
それから、関、亀山《かめやま》、四日市《よっかいち》、桑名、宮、岡崎、赤坂、御油《ごゆ》、吉田、蛸は大威張りで駕籠にゆられて居眠りしながら旅をつづけた。宿に着けば相変らず夜ふかしと朝寝である。この丹三郎ひとりのために、国元を発足した時の旅の予定より十日ちかくもおくれて、卯月《うづき》のすえ、ようようきょうの旅泊りは駿河《するが》の国、島田の宿と、いそぎ掛川《かけがわ》を立ち、小夜《さよ》の中山に
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