新釈諸国噺
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)振仮名を附《つ》けたい気持で

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)新釈|諸国噺《しょこくばなし》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から2字上げ]昭和十九年晩秋、三鷹《みたか》の草屋に於て
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     凡例

一、わたくしのさいかく、とでも振仮名を附《つ》けたい気持で、新釈|諸国噺《しょこくばなし》という題にしたのであるが、これは西鶴《さいかく》の現代訳というようなものでは決してない。古典の現代訳なんて、およそ、意味の無いものである。作家の為《な》すべき業《わざ》ではない。三年ほど前に、私は聊斎志異《りょうさいしい》の中の一つの物語を骨子《こっし》として、大いに私の勝手な空想を按配《あんばい》し、「清貧譚《せいひんたん》」という短篇《たんぺん》小説に仕上げて、この「新潮」の新年号に載せさせてもらった事があるけれども、だいたいあのような流儀で、いささか読者に珍味異香を進上しようと努めてみるつもりなのである。西鶴は、世界で一ばん偉い作家である。メリメ、モオパッサンの諸秀才も遠く及ばぬ。私のこのような仕事に依《よ》って、西鶴のその偉さが、さらに深く皆に信用されるようになったら、私のまずしい仕事も無意義ではないと思われる。私は西鶴の全著作の中から、私の気にいりの小品を二十篇ほど選んで、それにまつわる私の空想を自由に書き綴《つづ》り、「新釈諸国噺」という題で一本にまとめて上梓《じょうし》しようと計画しているのだが、まず手はじめに、武家義理物語の中の「我が物ゆゑに裸川」の題材を拝借して、私の小説を書き綴ってみたい。原文は、四百字詰の原稿用紙で二、三枚くらいの小品であるが、私が書くとその十倍の二、三十枚になるのである。私はこの武家義理、それから、永代蔵《えいたいぐら》、諸国噺、胸算用《むねさんよう》などが好きである。所謂《いわゆる》、好色物は、好きでない。そんなにいいものだとも思えない。着想が陳腐《ちんぷ》だとさえ思われる。

一、右の文章は、ことしの「新潮」正月号に「裸川」を発表した時、はしがきとして用いたものである。その後、私は少しずつこの仕事をすすめて、はじめは二十篇くらいの予定であったが、十二篇書いたら、へたばった。読みかえしてみると
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