、実に不満で、顔から火の発する思いであるが、でも、この辺が私の現在の能力の限度かも知れぬ。短篇十二は、長篇一つよりも、はるかに骨が折れる。

一、目次をごらんになれば、だいたいわかるようにして置いたが、題材を西鶴の全著作からかなりひろく求めた。変化の多い方が更に面白《おもしろ》いだろうと思ったからである。物語の舞台も蝦夷《えぞ》、奥州《おうしゅう》、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫した。

一、けれども私は所詮《しょせん》、東北生れの作家である。西鶴ではなくて、東鶴|北亀《ほっき》のおもむきのあるのは、まぬかれない。しかもこの東鶴あるいは北亀は、西鶴にくらべて甚《はなは》だ青臭い。年齢というものは、どうにも仕様の無いものらしい。

一、この仕事も、書きはじめてからもう、ほとんど一箇年になる。その期間、日本に於《お》いては、実にいろいろな事があった。私の一身上に於いても、いついかなる事が起るか予測出来ない。この際、読者に日本の作家精神の伝統とでもいうべきものを、はっきり知っていただく事は、かなり重要な事のように思われて、私はこれを警戒警報の日にも書きつづけた。出来栄《できばえ》はもとより大いに不満であるが、この仕事を、昭和聖代の日本の作家に与えられた義務と信じ、むきになって書いた、とは言える。
[#地から2字上げ]昭和十九年晩秋、三鷹《みたか》の草屋に於て
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   目次

貧の意地 (江戸) 諸国はなし、西鶴四十四歳刊行
大力   (讃岐《さぬき》) 本朝二十不孝《ほんちょうにじゅうふこう》、四十五歳
猿塚   (筑前《ちくぜん》) 懐硯《ふところすずり》、四十六歳
人魚の海 (蝦夷《えぞ》) 武道伝来記、四十六歳
破産   (美作《みまさか》) 日本永代蔵《にっぽんえいたいぐら》、四十七歳
裸川   (相模《さがみ》) 武家義理物語、四十七歳
義理   (摂津) 武家義理物語、四十七歳
女賊   (陸前) 新可笑記《しんかしょうき》、四十七歳
赤い太鼓 (京)  本朝|桜陰比事《おういんひじ》、四十八歳
粋人   (浪花《なにわ》) 世間胸算用《せけんむねさんよう》、五十一歳
遊興戒  (江戸) 西鶴置土産、五十二歳(歿《ぼつ》)
吉野山  (大和《やまと》) 万《よろず》の文反古《ふみほうぐ》、歿後三年刊
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