にしき》と見え、人の足手は、しがらみとなって瀬々を立ち切るという壮観であった。それ、そこだ、いや、もっと右、いや、いや、もっと左、つっこめ、などと声をからして青砥は下知するものの、暗さは暗し、落した場所もどこであったか青砥自身にさえ心細い有様で、たとえ地を裂き、地軸を破り、竜宮までもと青砥ひとりは足ずりしてあせっていても、人足たちの指先には一文の銭も当らず、川風寒く皮膚を刺して、人足すべて凍《こご》え死なんばかりに苦しみ、ようようあちこちから不平の呟《つぶや》き声が起って来た。何の因果で、このような難儀に遭うか、と水底をさぐりながら、めそめそ泣き出す人足まで出て来たのである。
 この時、人足の中に浅田小五郎という三十四、五歳のばくち打がいた。人間、三十四、五の頃《ころ》は最も自惚《うぬぼ》れの強いものだそうであるが、それでなくともこの浅田は、氏育ち少しくまされるを鼻にかけ、いまは落ちぶれて人足仲間にはいっていても、傲岸不遜《ごうがんふそん》にして長上をあなどり、仕事をなまけ、いささかの奇智《きち》を弄《ろう》して悪銭を得ては、若年の者どもに酒をふるまい、兄貴は気前がよいと言われて、そうでもないが、と答えてまんざらでもないような大|馬鹿《ばか》者のひとりであった。かれはこの時、人足たちと共に片手に松明を持ち片手で川底をさぐっているような恰好《かっこう》だけはしていたが、もとより本気に捜すつもりはない。いい加減につき合って手間賃の分配にあずかろうとしていただけであったのだが、青砥は岸に焚火《たきび》して赤鬼の如《ごと》く顔をほてらし、眼《め》をむいて人足どもを監視し、それ左、それ右、とわめき散らすので、どうにも、うるさくてかなわない。ちぇ、けちな野郎だ、十一文がそんなに惜しいかよ、血相かえて騒いでいやがる、貧乏役人は、これだからいやだ、銭がそんなに欲しかったら、こっちからくれてやらあ、なんだい、たかが十文か十一文、とむらむら、れいの気前のよいところを見せびらかしたくなって来て、自分の腹掛けから三文ばかりつかみ出し、
「あった!」と叫んだ。
「なに、あった? 銭はあったか。」岸では青砥が浅田の叫びを聞いて狂喜し、「銭はあったか。たしかに、あったか。」と背伸びしてくどく尋ねた。
 浅田は、ばかばかしい思いで、
「へえ、ございました。三文ございました。おとどけ致します。」と言
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