な人たちに全部わけてやってしまう。だから近所の貧乏人たちは、なまけてばかりいて、鯛《たい》の塩焼などを食べているくらいであった。決して吝嗇《りんしょく》な人ではないのである。国のために質素倹約を率先|躬行《きゅうこう》していたわけなのである。主人の時頼というひともまた、その母の松下禅尼《まつしたぜんに》から障子の切り張りを教えられて育っただけの事はあって、酒のさかなは味噌《みそ》ときめているほど、なかなか、しまつのいいひとであったから、この主従二人は気が合った。そもそもこの青砥左衛門尉藤綱を抜擢《ばってき》して引付衆《ひきつけしゅう》にしてやったのは、時頼である。青砥が浪々《ろうろう》の身で、牛を呶鳴《どな》り、その逸事が時頼の耳にはいり、それは面白い男だという事になって引付衆にぬきんでられたのである。すなわち、川の中で小便をしている牛を見て青砥は怒り、
「さてさて、たわけた牛ではある。川に小便をするとは、もったいない。むだである。畑にしたなら、よい肥料になるものを。」と地団駄《じだんだ》踏んで叫喚《きょうかん》したという。
 真面目《まじめ》な人なのである。銭十一文を川に落して竜宮までもと力むのも、無理のない事である。残りの二十六文を火打袋におさめて袋の口の紐《ひも》を固く結び、立ち上って、里人をまねき、懐中より別の財布を取出し、三両出しかけて一両ひっこめ、少し考えて、うむと首肯《うなず》き、またその一両を出して、やっぱり三両を里人に手渡し、この金で、早く人足十人ばかりをかり集めて来るように言いつけ、自分は河原に馬をつなぎ、悠然《ゆうぜん》と威儀をとりつくろって大きな岩に腰をおろした。すでに薄暮である。明日にのばしたらどういうものか。けれども、それは出来ない事だ。捜査を明日にのばしたならば、今夜のうちにもあの十一文は川の水に押し流され、所在不分明となって国土の重宝を永遠に失うというおそろしい結果になるやも知れぬ。銭十一文のちりぢりにならぬうち、一刻も早く拾い集めなければならぬ。夜を徹したってかまわぬ。暗い河原にひとり坐《すわ》って、青砥は身じろぎもしなかった。
 やがて集って来た人足どもに青砥は下知して、まず河原に火を焚《た》かせ、それから人足ひとりひとりに松明《たいまつ》を持たせ冷たい水にはいらせて銭十一文の捜査をはじめさせた。松明の光に映えて秋の流れは夜の錦《
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