、さらに血の気の多い学生は、発明の議論も手ぬるしとして、深夜下宿の屋根に這《は》い上って、ラッパを吹いて、この軍隊ラッパがまたひどく仙台の学生間に流行して、輿論《よろん》は之を、うるさしやめろ、と怒るかと思えばまた一方に於いては、大いにやれ、ラッパ会を組織せよ、とおだてたり、とにかく開戦して未だ半箇年というに、国民フ意気は既に敵を呑んで、どこかに陽気な可笑《おか》しみさえ漂っていて、そのころ周さんが「日本の愛国心は無邪気すぎる」と笑いながら言っていたが、そう言われても仕方の無いほど、当時は、学生ばかりでなく仙台市民こぞって邪心なく子供のように騒ぎまわっていた。
それまで田舎の小さい城下町しか知らなかった私は、生れて初めて大都会らしいものを見て、それだけでも既に興奮していたのに、この全市にみなぎる異常の活況に接して、少しも勉強に手がつかず、毎日そわそわ仙台の街を歩きまわってばかりいた。仙台を大都会だと言えば、東京の人たちに笑われるかも知れないが、その頃の仙台には、もう十万ちかい人口があり、電燈などもその十年前の日清《にっしん》戦争の頃からついているのだそうで、松島座、森徳座では、その明
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