いせに、あんな無意味な騒ぎ方をしているのではないかしらと疑いたくさえなった程で、とにかく、藤野先生の講義そのものは、決して私の予期していたような春風|駘蕩《たいとう》たるものではなく、痛々しいくらいに、まじめで、むきなものであった。もっとも、痛々しいという感じは、特に私ひとりだけに強く響いたものかも知れない。というわけは、この先生は、その講義に於いてずいぶんご自分の言葉使いに気をくばっておいでの様子で、私もまた自分の言葉の田舎訛《いなかなま》りにはかねがね苦労させられているので、他人のそんな気持には敏感に同情できて、そのせいもあって、特に痛々しいなどと感じたのかも知れなかった。先生は、ひどい関西訛りであった。それを隠そうと、なみなみならぬ努力をしておられるようであったが、異国人の周さんにさえ、特徴のある語調だと看破されているくらい、やっぱりその講義には、かなりの関西訛りがまじっていた。かくの如く観じ来れば、後に到《いた》って、この藤野先生と周さんと私と三人が結んだあの親密な同盟も、何の事は無い、日本語不自由組の同気相求めた結果のものに過ぎなかったのではないか、と情け無い気持にもなるが、
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