しかし、それは、あまりにもふざけた冗談の推論かも知れない。当時、私は自分の田舎訛りを非常に気にしていたのは事実であるから、それは、たしかに周さんとの出会《であい》の当初に於いても、共感を生ぜしめた卑近なきっかけの一つになったのは前にも幾度となく、くどいくらいに念を押して説明して来たとおりで、そのことに就いてはいまも決して否定しようとは思わぬが、しかし、それから後に到っても、私たちは、ただそんな卑俗の理由ひとつだけで結ばれていたわけでは断じて無いのだ、とすこし大きく出たい気持も現在の私には有るのである。然《しか》らば、その他の高遠な理由というのは、何であるか。それは実のところ、私にもはっきりわかっていないのである。何であるか、一口には言えないのであるが、とにかく、「ウマが合った」という説明も、周さんと私と若い者同士が、ふっと互いに打ち解け合う事に使用されてこそ自然な感じがするものの、この二人の交友に、さらに藤野先生が加った時、「ウマが合った」など失礼な俗語で説明しようとしても、それだけでは追いつかぬように思われる。事実、それから後に於ける私たち三人の同盟には、そんな、日本語不自由組だの「
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