いるのだ。どんな偉大な思想でも、それが客間の歓談の装飾に利用されるようになった時には、その命が死滅する。それはもう、思想でない。言葉の遊戯だ。西洋のそれと比較にならぬほど卓越していた筈の、東洋の精神界も、永年の怠惰な自讃に酔って、その本来の豊穣《ほうじょう》もほとんど枯渇《こかつ》しかかっている。このままでは、だめだ。自分は父に死なれて以来、いよいよ周囲の生活に懐疑と反感を抱き、懊悩《おうのう》焦慮の揚句《あげく》、ついに家郷を捨て、南京《ナンキン》に出た。何でもかまわぬ、新しい学問をしたかったフである。母は泣いて別れを惜しみ、八元の金を工面《くめん》して自分に手渡した。自分はその八元の金を持って異路に走り、異地に逃《のが》れ、別種の人生を探し、求めようとしたのである。南京に出て、どのような学校にはいるか。第一の条件は、学費の要らない学校でなければいけなかった。江南水師学堂は、その条件にだけは、かなっていた。自分はまずそこへ入学した。そこは海軍の学校で、自分はさっそく帆柱に登る練習などさせられたが、しかし新しい学問はあまり教えてくれなかった。わずかに It is a cat, Is i
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