t a rat ? など初歩の英語の手ほどきを受けただけであった。ちょうどその頃だ。かの康有為《こうゆうい》が、日本の維新に則《のっと》り、旧弊を打破し大いに世界の新知識を採り、以《もっ》て国力回復の策を立てよと叫び、所謂「変法自強の説」を帝にすすめ、いれられて国政の大改革に着手したが、アイテルカイトの Dame ならびにその周囲の旧勢力の権変に遭《あ》い、新政は百日にして破れ、帝は幽閉され、康有為は同志の梁啓超《りょうけいちょう》らと共に危く殺害からのがれて、日本に亡命した。この戊戌《ぼじゅつ》政変の悲劇をよそにして、It is a cat を大声で読み上げているのは、甚だ落ちつかない気持であった。自分も既に十八歳である。ぐずぐずしては居られぬ。早く新知識の中核に触れてみたい。自分は転校を決意した。つぎに選んだのは、南京の礦路学堂である。ここも学費は要らなかった。鉱山の学校であって、地学、金石学のほかに、物理、化学、博物学など、新鮮な洋学の課目があったので、どうやら少し落ちつく事が出来た。語学も、It is a cat, ではなくて、der Man, die Frau, das Ki
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